花はどこに行ったの?

 世の中は言葉で成り立っている。 人間性を磨くにはまず、基本の言葉を正すこと。

 美輪明宏(みわ あきひろ、1935年5月15日 – 本名:丸山 明宏)さんの、名言とされるものの一つ。 まさしく美輪さんは、 “言葉” の人だと思う。
 “美” を語る美輪さんの言葉は、いつも訴求力に満ちている。

 男はロマンチストで神経が繊細。 女は現実的で神経が図太い。 だから神様は女から腕力を取り上げ、男に腕力を与えたのです。

 30年近く前、カーラジオから流れてきたTBSラジオ「ズバリ快答!テレフォン身の上相談」の美輪さんの見識に、目からうろこの思いがした。 男は泣くな!で育った世代として、しかし日々目の当たりにする現実に大きなギャップを感じていて(だって、どうみたって女の方が押しが強い)、逆転した洞察に触れた時、初めて得心がいった。 爾来こん日に至り、娘には「女は泣くな!」と教育している。 逆に男は、すぐ泣いてもイイのである。 何たってロマンチストだかんね ♡

 対して “美” を体現する美輪さんには、いつも違和感が付きまとう。 もちろん、77歳の外見を云々するつもりはない。 演じ、唄う姿から、あまりに紋切り型な美意識ばかりが前面に出すぎていて、居たたまれなくなるのだ。 時に、下品とさえ思う。 この落差は何なのか。

 国営放送による晦日恒例の歌番組。 美輪さんの初出場がニュースで流れた。 醜悪の極みと思われるこの長者番組を、最後に観たのは1977年。 しばたはつみの「マイ・ラグジュアリー・ナイト(作詩:来生えつこ/作曲:来生たかお/編曲:林哲司)」がお目当てだったが、全く記憶に残っていない。 作品自体は来生姉弟の中でも、一、二を争う名曲だと思うけれど。 http://www.youtube.com/watch?v=Z4GvQ-fYPxA 
 今回、美輪さんが出ようとゴールデンボンバーが初舞台を踏もうと、老臭まじるキツイ香水と厚化粧に塗り固められた如きこの歌番組を、見る気のないことに変わりはない。
 『愛の賛歌』が出場曲として有力らしいけれど、申し訳ないがエディト・ピアフの比較など論外として、(美輪さんが否定的な)岩谷時子訳・越路吹雪ヴァージョンの、足元にも及ばない。 “美” を現出させるのは圧倒的にコーちゃん(越路吹雪)の方で、歌詞など一足飛びに超越する存在感が、聴き手を圧倒する。
 道理を説く美輪さんは素晴らしいのに、同じ人による(原曲に忠実な訳詞で)世界を敵に回しても “あんた” との愛を貫く『愛の賛歌』には、ちっとも心を打たれないのだ。

 ところで、ご本人が披露したいのは『ヨイトマケの唄(1966年)』だそうだ。 さんざん否定的なことを書いてきながら、しかし『ヨイトマケの唄』は素晴らしい。
 『愛の賛歌』の美輪明宏からは拭いきれない虚飾性も、『ヨイトマケの唄』だと、人間の実存と尊厳しか感受しない。 曲も歌詞も、ひたすらに泥臭い。 しかし “美” とはこのことかと、聴くたびにこうべを垂れてしまう。 実際、曲と対峙するときはきちんと正座をする。 ありがたい教えを乞うような気持に、自然とさせられる。 さびの、「母ちゃんの唄こそ 世界一 母ちゃんの唄こそ 世界一」とくれば、もういけない。 ひとりハラハラ、落涙する。 だって男だから、すぐ泣いてもイイのである。  http://www.youtube.com/watch?v=_v6dSDMc4W4

 今はエンジニアとなった主人公が、貧しい少年時代を回想する。 彼の父ちゃんが何者か不明だが、母ちゃんは土方(今や差別用語)の日雇いに体を張っている。 吊るした重し(槌や柱)を上げ下げし、地盤を突いて地固めする肉体労働の女性を、当時ヨイトマケと呼んだ。 稼ぎの少ない旦那を持ったり夫に先立たれた妻が、家族を養うため生業としたらしい。 人権意識など今よりよほど希薄な時代だったろうから、ヨイトマケに蔑みの意味が多分に込められていることは、容易に想像がつく。
 小学校で、ヨイトマケのきたない子といじめられた主人公が、慰めてもらおうと帰る道すがら、母ちゃんの働く姿を目にする。 男にまじり力の限り声を上げ、綱引く母ちゃんを前にした彼は圧倒され、流した涙も忘れてしまう。  “父ちゃんのためなら エンヤコラ”   “子供のためなら エンヤコラ”
 働く母の姿に、無心にして無償の愛を感じ、自らの為すべき「勉強するよと 云いながら」、彼は学校に戻っていく。
 成長の過程で何度かグレかけても、あの時の母ちゃんの掛け声が彼を支える。 高校・大学を出て、どうやら出世したらしい彼は、「苦労苦労で 死んでった」母に、「母ちゃん見てくれ この姿」と胸を張る。

 意地悪い見方をすれば、それでいいのか? 疑問符もつけられる。 確かに息子は母親の献身的な愛で成長し、学もあって、今はそこそこリッチなのかもしれない。 差別され、ひもじい思いをし続けた少年が、人の上に立つまで成長出来たのだから、イイことなのかもしれない。
 でも、見方を変えればそれって、搾取される側だった親の世代が、子の時代になって搾取する側に転じただけ・被差別者が差別する側になっただけと、とれなくもない。

 『ヨイトマケの唄』が聴く者の心をわしづかみにするのは、 “僕” が立派なエンジニアになった、結果に対してではない。 「どんなきれいな 唄よりも どんなきれいな 声よりも 僕をはげまし 慰めた」他に比べるものなく、超然と屹立する母ちゃんの唄そのものに違いない。 ここでの美輪さんは、出で立ちからしていつもの “美” (きらびやかな衣装)を封印している。  “母ちゃんの唄” の本質に迫るべく、きたなく貧しい土方のなりをして歌う。 何故かその姿に、限りない美しさを認めるのだ。

 美輪明宏は、大いなる矛盾である。 同性愛など完全なタブーだった50年以上も前にカミングアウトし、長崎で被爆した後遺症から多量の吐血を繰り返すなど、世の偏見・差別と対峙し続けた人生である。 そうでありながら、

 部屋に花を飾り、優しく静かな音楽を流し、美しいインテリアに囲まれて暮らしていれば、その波動で人は美しくなります。

 などと説く。 確かに一面の真理ではあろうが、優しく静かな音楽のみが “美” であるならば、 “母ちゃんの唄” などもっての他だろう。 美と醜・高貴と下賤、あい矛盾する要素が、矛盾のままに混在する美輪さんの言葉と行いに、比類なき個性が浮かんでくる。  

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