続・パッとしたチョホーマンス

仕事や家庭、自分のために、命を懸けた経験なんて僕にはない。 命を賭してまで守りたい、ポリシーもない。
不幸なのか幸いであったかわからないが、もうすぐ56年になる人生を、そこまでせっぱつまることなく過ごしてきた。

今後、このまま平穏に人生が終わる保証などあるはずがない。 それを望んでいるとも、言いきれない。
だからと今さら死ぬほど大変な思いをしたいなどと、言うつもりもない。
せっかく一度の人生なのだから、様々な喜怒哀楽を味わってみたい、とは思う。

その際、質は重要である。
「オレは仕事に命を懸けてるんだぁ~!」などとお手軽にキレる御仁を相手にしても、ひたすら不快で浅薄な感情しか残さない。
どうせならもっとどす黒い、hato権謀術数・奸智術策の渦中に投げ込まれるとか、そこにおいては一方的な被害者の立場じゃなくて、手練れの連中相手に知力の限りを尽くし、真っ向勝負を仕掛けてみたいものだ。 ちょうど迫りくる米朝会談に向けて繰り広げられる、壮絶な駆け引きのように。 ま、僕如きが、百戦錬磨の知恵者と対決などとは、想像するにもおこがましい限りだが。

世界を動かすトップ3(トランプ・プーチン)と海外で評価される今の総理大臣を、劣化著しいメディアと歴代最悪の6野党が、こき下ろすためのネタ探しに日々躍起となっている。 これも今の日本が平和だから通用する戯れ言に過ぎず、しかしその“平和”も、砂上の楼閣に過ぎないことが判然として来た。 沖縄を“自国の領土”と公言し憚らない大国が、日本の隣に現前としてあるのだ。

沖縄県石垣市の尖閣諸島沖で24日、中国海警局の「海警」4隻が日本の領海に侵入し、約2時間航行した。尖閣諸島沖での中国公船の領海侵入は18日以来で、今年10回目。
 第11管区海上保安本部(那覇市)によると、海警「2101」「2307」「2401」「33115」が午前10時~同15分ごろ、魚釣島西南西の領海に侵入。同11時45分~正午ごろ、南小島南で領海を出た。(2018/05/24-13:41 jiji.com)

今年3月、中国海警局は人民武装警察部隊(武警)に編入され、軍の指揮下に置かれている。 つまり、純然たる軍事組織が日常的に領海を侵犯しているということだ。 モリカケもTOKIOも、日大アメフトも比較にならないはずの国家の一大事に、国民にまったく周知されない所で、「命を懸けた」海上保安庁の苦闘が日々展開されている。 彼らには、相手が攻撃してくるまで一切手出しならぬとの、専守防衛・憲法第9条の縛りがある。 それを見透かした中国側の挑発・嫌がらせに耐え続けなければならない最前線の皆さん、常に命の危険にさらされ続けるその心労たるや、いかばかりのものだろうか。

「命を懸ける」にも、内的要求からそうする不屈の闘志もいれば、外的要因から、時に命まで懸けざるを得ない局面に立たされる人もいるだろう。

前者であれば、人として立派としかこれは言いようがない。 「金も名誉も、命もいらぬ」そう公言し実践もされている方に、一昨年、生まれて初めて選挙に出向き、投票した。 今も講演会やネットを通じ、積極的に発信をされておられるが、その徹底した裏取りと落とし込みから、情報の信憑性と説得力は極めて高い。 しかしこのような超人は例外的存在であり、ご本人は生を心から謳歌し、同じほどに苦しんでもおられるようだが、自分が真似したいとは露ほど思わない(出来るはずもないが)。

いつものことだが、話を広げ過ぎた。
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「命を懸ける」とは、過日観たエフゲニー・ムラヴィンスキー(1903年6月4日 – 1988年1月19日)の指揮姿から浮かんできた言葉だ。 曲はショスタコーヴィチ「交響曲第5番」。 1937年11月、ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー・アカデミー管弦楽団によって初演された。 知名度という点からすれば、作曲者の代表曲である。 今ではYouubeで、いつでも鑑賞可能な映像だ。

では、当時80歳のムラヴィンスキーが、鬼気迫る表情や仕草で音楽を創造していくかといえば、さにあらずんや。 うける印象はむしろ、冷静沈着そのもの。 冷徹と形容したくなるほどに、まるで顕微鏡をのぞき込む科学者のような泰然自若の佇まいである。 そういえばこの指揮者は、楽譜をしっかりたどりながらオーケストラの面々に指示を送っている。 現代であれば暗譜が常識のところ、まして自家薬籠中の作品をリハーサルでならまだしも、本番においてさえその姿勢は変わらない。 作品の深淵にまで入り込まんとし、そこに散らばる思想・心情・情報の断片までを、すべて表現しつくさずにはおれない鋼の意志。

その故に、自らが興奮することは御法度となる。 この音符の意味するところは何か、このテンポでなければならない必然はあるのか。 常に作品に問い、瞬時に答えを導き出し、奏者へと伝え続ける。 しかもその伝達は常に正鵠を得たもの、正確無比なものでなけれならない。 60~80名からなる楽団員は、指揮者に全幅の信頼を置き、自らの卓越した技量と究極の“忖度”によって、抽象を現実の音へと変換する。 この、途方もない創造行為、何という苦役。

そこから表出される音楽は、超弩級だ。 ムラヴィンスキーにとって「命を懸ける」とは、作品に「傾注する」のと、ほぼ同義になるかもしれない。

20110703_981867ショスタコーヴィチは「交響曲第5番」初演の前の年、ソ連共産党中央委員会機関紙『プラウダ』によって批判されている。 オペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」が社会主義にとって有害であり、「荒唐無稽」との烙印を押されたのだ。 ちなみにこのオペラ、男女の交接(しかもレイプ!)シーンがもろに描かれるトンデモ作品で、並のAVより興奮させられること請け合いである。 80年以上昔に、しかもロシア人の手になる超過激不倫オペラが生まれていたのだ。 スターリンが激怒したというのも、無理からぬことかもしれない。

プラウダ批判は、当時のソ連に於いて死刑宣告にも等しい。 急がれる名誉回復のため作曲された交響曲の初演を、引き受けたのがムラヴィンスキーであった。 何かひとつしくじれば、演奏者にもヤバい状況が生まれて不思議はない。 作曲者にとっても指揮者にとっても、これこそ命を懸けたお披露目演奏だったと言える。 結果は大成功で、ショスタコーヴィチは粛清の危機を回避したのだった。

後にムラヴィンスキーは回顧している。 「若かったからできた」ことだと。 しかしそれは、政治的行為を指すものではない。 「交響曲第5番」という偉大な作品を世に知らしめる役目を、今だったら引き受けただろうかという畏れからである。 この人にとって音楽以外の俗界のことなどは、意に介さぬ些事だったに違いない。

来日したムラヴィンスキーに、主催者が当時はやりのジャケットを進呈したことがある。 ささやかなプレゼントを受け取った巨匠は、部屋にこもったきり、一日中姿を現さなかったという。 何か機嫌を損ねってしまったのでは・・・ その危惧は見事に外れ、神ともあがめられた大指揮者は贈り物を受けて感激のあまり、部屋の中でいつまでも泣き腫らしていたという。 こんなエピソードを知るにつけ、こちらの涙腺も緩んで仕方ない。 この人は、間違いなく生活不適応者だった。 世俗の欲望など皆無にして、表現行為には一切の妥協を許さない。 芸術家が真に偉大だった時代の、最後を飾る人物かもしれない。

いつまでも穢れぬ純白な心で、自ら偉大と認める音楽にのみ捧げた人生は、映像に残る姿だけで汲み尽くせない。 むしろ目を閉じ、音にのみ集中すべきである。 人間業をはるかに超えた世界が、瞼の裏側で果てしなく広がっていくはずだ。 そのとき僕たちは逆説的に、この卑小な日常を生きていかねばならないことに、絶望を感じてしまうかもしれない。 そのぐらいの、それは音楽だ。

命を懸けるとは、掛け替えのない一つの対象に対して、たった一度の人生を捧げるということなのか。

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