私だけの十字架 その2

2月28日、FMで放送された「メナヘム・プレスラー ピアノ・リサイタル」を聴く。

94歳の誕生日を目前に控えたユダヤの老人が日本にやってくるというそれだけで、すでに驚異的な出来事と言えるだろう。
「ひび割れた骨董品」と評された不世出の大ピアニスト、ウラディミール・ホロヴィッツが初来日(1983年)したのは、それでも80歳の時だった。
ちなみにプレスラーのベルリン・フィルのソロイストデビューは、御大90歳の時という。 大器晩成にも程がある。

この夜、プレスラーが奏でたピアノ小品の数々はまさしく老いの響きというほかなく、だが表現することに強い意志を持ち続けた者が老いるとはこういう事か、老いとはネガティブな時間の流れでは決してなく、ある到達に至る過程に過ぎないことを体現したような、それは音楽だった。

ぼくはこの日のリサイタルに行けなかったことを一生後悔するだろうし、同時に、録音を通した限界ある条件の中にあっても、至高の響きに触れられたことをこの上なく幸運に思う。

1曲目。 ヘンデルの「シャコンヌ」が始まった瞬間、10年物の昆布のみで摂った、海の香りも旨みも抜けきった夾雑物のまるで無い、澄んだ出汁のような響きに満たされる。 それは脱力し、浮遊し、愉楽への本能を刺激せずにはおかない。 生きてきたからこそここで巡り会えた、奏者と聴衆の、幸せな邂逅。

2曲目はモーツァルトの「幻想曲 ハ短調 K.475」。 昔からグレン・グールドの乾いた響きが好きで、モーツァルト晩年様式の前触れのようなピアノを、何度も聴いてきた。 一人の音楽家に惚れ込むと、良くも悪くも他の演奏はその規範から外れるため、誰を聴いても受けつけずに来たのだが、プレスラー翁の手にかかると、何の抵抗もなく心の中深く音がしみてくる。 途切れなく演奏される「ピアノ・ソナタ ハ短調 K.457」でも、その感覚はまったく変わらない。 モーツァルトの音楽は古典派の様式にあって、端正な響きのようでありながら実はベートーヴェン以上に荒れ狂う葛藤をはらんでいる。 プレスラーは、いともたやすく相矛盾する二つの世界を止揚してしまう。 引き裂かれた世界で何かが終わり、虚無とも呼べない静かな調和の中に収束していく。

ドビュッシー「前奏曲集 第1巻」から5曲、そして「夢」。 自家薬籠中の作曲家なのだろう。 音楽はますます淀みなく、意識の裡に沈潜していく。 もしも2017年10月16日、サントリーホールで「亜麻色の髪の乙女」を聴けていたなら、神と突然に対峙し祈る思いも消失してしまったかのような、忘我の境地を味わえたかもしれない。 だが極めつけのドビュッシーは、後述するアンコールに奏された1曲であり、そのたった1曲のため、ここに書き留めておきたくなった。

ショパンからはマズルカ2曲と「バラード第3番」。 素晴らしい演奏ながら、それまでの作曲家と異なる印象を覚えるのは、ショパンにはどうしても一定の暗さと技巧が不可欠と感じるからだ。 満たされぬ渇きから生まれる焦燥感のようなものが後退し、演奏に今一つ必然を感じない。 単純に好みの問題で、プレスラーその人を聴くことに何の支障もないが。

最後はドビュッシー「月の光」。 これは、なんという音楽だろう。 月は照らさず、僕たちの“今”“過去”“未来”に等しく、光のままに滴り落ちてくる。
アルベール・カミュは「不条理」の感情を、人間のなかにあるものでも世界にあるものでもなく、「両者の共存のなかにあるもの」「両者を結ぶ唯一のきずな」と定義した。 そして「反抗(不条理を明晰な意識のもとで見つめ続ける態度)」こそが生を価値あるものにすると称揚している。
プレスラーはこれを実践し続け、晩年に於いて、ついにその望ましい極点に達したのだと思う。 ここに歴史性は否定され、過去も未来も等価となり、故に革命もまた否定される。 “いまここにある”、その危うくも愛おしく、肯定するしかしかない“生”の賛歌こそが、この音楽の正体である。

夢であり、うつつでもある「月の光」のしずく。 僕たちは生きるに値するから生きているのではなく、存在しなかった過去も存在していない未来も、生きている“今”に等しい価値となり、静かな月の光に満たされている。 つまり、存在も非在も等価であるなら、もはや死ぬ根拠がなくなるのだ。
カミュは、革命や党派性の限界を示すことで同時代においては異端の存在に終わった。 「月の光」は音楽自体に於いて、その復興を宣言しているかのようだ。

あれ、オレまた何書いてんだろう。 なんで唐突に、カミュなんか俎上に上げるんだろう。
前回の続きで、現代のエア・チェックの具体的なやり方を開示しようとしていたのに。
それで、なんですな。 AIMPという、これはメイドイン・ロシアの音楽再生ソフトを使った「メナヘム・プレスラー ピアノ・リサイタル」の画面を写真で掲載しておきますね。 これ、すんごいマニアックな編集が必要なんですが、今から触れだすと午前様になってしまうので、またの機会といたしまDSCN0284す。

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