高いお肉じゃなくたっていいんです 下

本多勝一著「中国の旅」(朝日文庫)を読んだのは、受験のプレッシャーから逃れようと活字三昧に浸っていた中学3年の冬だった。 そうはいっても、何を理由にこの本を購入したのか、今となって定かでない。

51QKNW7MY2L._SX330_BO1,204,203,200_本多勝一といえば、「日本語の作文技術 」(朝日文庫)で大いに影響を受け、自分の文章というか、句読点の打ち位置やセンテンテンスの切り方などは、この人の指南から今もって抜け切らないままでいる。 馴染みの作者だったから購入したのか、書店に山積みとなった本の中で殺風景な表紙とタイトルが逆に目を引いたためか、あるいは新聞の書評欄を目にしていたためかもしれない。 怖いのは、事実の裏付けなく結果的に自国を貶める行いに終始し、一方で価値観の全く異なる隣国を正当化するような危険な書物が、朝日新聞という有名ブランドによってあたかも正当性を裏付けてしまう、つまり書いてあることは“真実”だと思いこまされてしまうことだ。

日中国交“正常”化に先駆けること1年、1971(昭和46)年8月から12月まで、朝日新聞の花形記者により掲載された「中国の旅」。 その文庫化された本は、あまり目にしなくなった「ルポルタージュ」という手法でつづられていく。 自ら現地に赴き、取材した内容を放送・新聞・雑誌など、各種メディアにニュースとして報告することを指す。

国連教育科学文化機関(ユネスコ)が世界記憶遺産に登録してしまった「南京大虐殺30万人説」、2人の将校のどちらが先に100人を斬るか競ったとされる「百人斬り競争」、10万単位にのぼる中国人労働者が何重にも重なる人骨の山「万人坑」 、日本軍による計画的大量殺害「三光作戦(殺光・焼光・奪光)」と、理解を超えた悪行の数々が、生き残った人達の証言として語られていく。

読み進むほどに、旧日本軍のおぞましさに戦慄し、吐き気を催す。 ある村で、日本兵が生まれて間もない幼児を母親から引きはがし、中空高く放って落ちてくるところを銃剣で貫く描写に及んでは、号泣までした。 「ごめんなさい、ごめんなさい」と顔をぐちゃぐちゃにしながら手を合わせ、中国の人達に謝罪した。 なんと残虐で猟奇的な民族の血が自分の内に流れている事か、恥じ入るしかなかった。 しかも証言する人たちは例外なく、悪いのはあくまで時の日本政府(軍)であり、日本国民を恨むことはないとまでおっしゃられたのだ。

140205616167474825225_tianamen-square-cover1今となって、素朴過ぎる少年の一時の感情に過ぎないが、この本に影響を受けた日本人は少なくないはずだ。 こうした「自虐史観」は、70年安保闘争が沈静化し、日中が交流を開始し、高い年間レンタル料のパンダ(実は中国共産党に侵略される前のチベットの生き物)がやってくるのと前後して、刷り込みの度合いを刻々と増していったように思う。

なぜ、自分が生まれた国をことさら貶めようとする心理が働くのか、朝日新聞をはじめとする大手メディアの思惑には、様々なものがあるだろう。

たとえば戦後GHQの指導により、保守的な思想を持つ学者や政治家が公職から追放され、戦時中に冷や飯を食わされていた共産主義者が台頭してきたという背景がある。 その当時の連合国の言い分に乗っかって報道したのが、今の大手メディアである。

たとえば日本と中国の間には、1964年に取り交わされた「日中記者交換協定」という不可思議な協定が今も存在し、中国政府(中国共産党)に不利な言動を行なわない・20160826_1400590日中関係の妨げになる言動を行なわない・台湾(中華民国)独立を肯定しないことなどが取り決められている。 違反すれば、記者が中国国内から追放される。 天安門事件においては、さすがの日本各紙も欧米同様この大量虐殺を批難し、一時支局閉鎖を余儀なくされたが、唯一の例外が朝日新聞だったというのを後から知り、さもありなんと思った。

たとえばNHK放送センター(東京都渋谷区)の中に、何故かCCTV(中国中央電視台)日本支局があり、同センターに電話をかけると内線で繋いでくれるというのだが、普通に考えておかしい。 中国共産党・宣伝機関との癒着が疑われても仕方がない。 まさか家賃は取っているだろうし(取っていなかったらそれこそ異常だが)、利害関係が成立しているからこそ、チベットやウイグルの人たちの弾圧も見て見ぬふりをしたり、天安門事件の被害者数を著しく低く見積もろうとしたりするのだろう。 少なくとも、NHKが取材によって得た日本の情報が、中国にわたっていないと彼らが保障したことはない。 なぜ、NHKにかつて「シルクロード」という番組が成立したのか、闇は深い。

戦前は国威発揚・日米katazusite1開戦までを徹底的にあおった新聞社が、戦後は手のひら返しを返したように、しかも明確な根拠なく反日に終始する。 理由は、そうした姿勢を欲する購買層が、少なからず存在するためである。 販売部数が伸びるからこそ、以前であれば戦争をあおり、今なら事実を歪曲してまでも、倒閣運動に励むのだ。

かつて朝日新聞のスター記者だった本多勝一氏が、日本軍による虐殺の証拠として使ってきた写真が、実は捏造であったことを、本多氏自身が初めて認めました。
問題の写真は、本多勝一氏の『中国の日本軍』に掲載されたもので、日本兵が中国の婦女子をかり集めてこれから虐殺するところであるとの説明がなされています。
ところが、この写真の出所は、実は本多氏が当時勤めていた朝日新聞社発行の『アサヒグラフ』(一九三七年十一月十日号)に掲載されたもの。 日本兵は家路につく少女たちを護っていたとのキャプションがついていて、少女たちの笑顔もはっきりと写っており、「南京大虐殺」とは何の関係もない写真であることは、誰の目にも明らかです。
この矛盾点を問われた本多氏は、週刊新潮(9月25日号・下写真)に次のようなコメントを寄せています。
「『中国の日本軍』の写真説明はすべて中国側の調査・証言に基づくものです」「『中国の日本軍』の写真が、『アサヒグラフ』に別のキャプションで掲載されているとの指摘は、俺の記憶では初めてです。確かに「誤用」のようです。」
本多氏のこの時の取材は実にいい加減なものでした。 中国共産党が用意した証人の証言をただ聞き書きしただけで、一切裏付け取材を行っていなかったことを、本多氏bTZAeN2y自身も後に著書の中で認めています。
また、「中国の旅」の記事で「日本人による虐殺があった」と紹介された炭鉱に勤めていた日本人が、記事は事実と著しく異なると本多記者に抗議の手紙を送ったところ、本多氏からは「私は中国側の言うのをそのまま代弁しただけですから、抗議をするのであれば中国側に直接やっていただけませんでしょうか。」という、無責任な回答が返ってきました。
証言が真実かどうかを調べるのが記者の仕事ではないでしょうか。
これが『中国の旅』の報道の実態です。 japan-plus.net/182/

いま朝日新聞は、森友・加計(かけ)学園問題を題材とした著書で名誉を傷つけられたとして、文芸評論家の小川栄太郎氏と出版元の飛鳥新社(東京)を相手取り、計5000万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求める訴えを東京地裁に起こしている。 公称600万部を超える大新聞社が、小川氏という個人を相手取り、しかも同紙からの謝罪や訂正、賠償を求める申入書に誠実な回答書を返したのにかかわらず、とつぜん訴訟に打って出た。 小川氏の回答書はネットで公開されているが、その書き出しはこうだ。

朝日新聞EltlFYyよ、新聞社として恥を知りなさい。

朝日新聞からの申入書への回答に先立ち、貴紙による一連の森友・加計報道について、総論的な結論から申し上げます。

朝日新聞は日本を代表する言論機関です。

法的構成が不可能な言いがかりで一個人を恫喝するのではなく、言論には言論で勝負していただきたい。

朝日新聞は2017年6月の販売部数からだけでも、毎月3万弱のペースで部数を減らし続けている。 このまま順調にいけば、2018年上半期(1月〜6月)の平均販売部数で、500万部台まで目減りすることになりそうだ。
実際には配られないのに新聞社が印刷し、販売店に引き取らせて配ったことにしている「押し紙問題」もある。 朝日の内部文書によると、2016年の発行部数は654万部と発表されているが、「残紙」の割合は32%にもなり、実際に読者に配られた実売部数は444万7千部だったとか。 実に3部に1部が配達されずに古紙回収業者を通じて処分されている計算だ。 なんという資源の無駄遣い。 そして32%の割合を適用すれば、実態は400万部程度まで販売数が落ちていると推察される。

昨年3月末、朝日新聞社は公正取引委員会から、この「押し紙問題」で注意を受けている。 このような、害ばかり多く益のない新聞社は、早くつぶれて頂くに越したことはない。 一方で、思想が偏れば偏るほど、これを是とする人たちが存在するのも、民主主義の国ゆえ否定は出来ない。

「中国の旅」を読んで、謝罪の気持ちでいっぱいになった僕を冷静に振り返る時、そこに倒錯した陶酔のようなものがあったことを認める。 僕はあくまで当事者でないから、“罪”を負ってはいない。 しかし日本軍の末裔として、過去の悪行を無かったものにせず、キチンと向き合う姿勢は高尚なものであると、だから他の日本人が否定されても僕自身は中国の人達と分かり合える存在なのだと、言語化していたわけではないが、そのように捉えていたのではないか。 一種、幼稚な特権意識であり、個人の特殊な事例かもしれない。 一方で、そのように読み手が意識を“操作”されていたのだとしたら、制作側の意図は的中したとも言えて、少なからぬ人たちが同じ思考回路から偏った思想を抱かされた可能性がある。

imagesあんまり長くなったのでこの辺で止めるが、素材を選ばずおいしくなると胸を張った「エバラ焼肉のたれ」こそ、日本人の矜持である。 たとえGDPや教育水準で他国にいくら抜かれようと、この精神さえ失わなければ日本は世界に冠たる国家であり続ける。 今こそ月の家圓鏡の精神に帰る時だヨイショッ!

じゃないかもしれない。

 

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