茶いろの鞄

万葉集に、恋は「孤悲」、若しくは「故非」と記される。

目の前にない、人や事物を慕わしく思うこと。 心ひかれ、それを自分のそばにおきたいと思うこと。 自分の求める人や事物が自分の手中にある時は『恋』の思いとならず、手中にしたいという思いのかなえられず、強くそれを願う気持ちが恋なのである(旺文社 『古語辞典』)

「孤悲」とは弧り悲しむこと、「故非」すなわち、古き(故)はすでに非ず(過去)と、取り戻すこと敵わない恋を万葉びとは歌に詠んだ。 あまりにありふれた私的嘆きを、はかなき人の世に照らし、風雅を感じさせずにおかぬ歌の高みにまで昇華したと言って良い。
それは、7世紀から8世紀にかけて編まれた現存する最古の和歌集であり、僕たち日本人の文明は、闘争や収奪・勝利の凱歌でなく、夕暮れ澄み渡る秋の茜ほどに切ない、抒情歌によって開かれたわけだ。

太田裕美の「茶いろの鞄」もまた、いにしえより歌い継がれる万葉びとの、「孤悲」と「故非」とのつつましき系譜だ。

路面電車でガタゴト走り 橋を渡れば校庭がある

のばした髪に帽子をのせた あいつの影がねえ見えるようだわ

人は誰でも振り返るのよ 机の奥の茶色の鞄

埃をそっと指でぬぐうと よみがえるのよ 懐しい日々

「赤いハイヒール」のB面に入っていた曲。 A面がヒットを最優先に作られるのだとすれば、B面は、歌い手の人品がより表に現れやすい選曲だったように思う。
冒頭、フルートの、少し強めにコントロールされたソロが吹かれだすと、主人公である彼女の想いは、過去へといざなわれていく。 少女だった昔、通った校舎。 そうして佇めば、“あいつ”の影が現れる。 “のばした髪に帽子”の出で立ちが、特定のある時代をしのばせながら、「故非」が彼女を包み始める。

学生服に煙草かくして 代返させてサボったあいつ

人間らしく生きたいんだと 私にだけは ねえやさしかったわ

もう帰らない遠い日なのに あの日のままね茶色の鞄

大人になって変わる私を 恥ずかしいよな気持にさせる

“人間らしく生きたい”と、未熟な“あいつ”が口にする。 かつての少女は男に優しさを見出し、しかし今は“大人になって変わる”自分に羞恥を覚える。 時代は移り、人は変わる。 茶色の鞄だけが時の流れの外にいて、主人公の「孤悲」をひときわに募らせる。 そうして間奏のストリングが堰を切ったように溢れ出し、多感な中学生の聴き手を、“あいつ”と少女が過ごした過去へ、瞬時に連れ去ったのだ。 この短いIntermezzoは、聴くつど変わらず胸を騒がせ、想いを焦がす。

運ぶ夢などもう何もない 中は空っぽ茶色の鞄

誰も自分の倖せはかる ものさしなんて持ってなかった

誰かが描いた相合傘を 黒板消しでおこって拭いた

あいつも今は色褪せてゆく 写真の中で ねえ逢えるだけなの

C6JeY4lVMAENXdxこれはしかし、あまりに個人的な少年時代の経験であって、不朽の一曲などと、胸を張ってお勧めしたい音楽ではない。 掛け替えのない宝のような響きは、茶色の鞄と同様に、“あの日のまま”僕の裡にだけあるのだ。

あなたには、そのような一曲があるだろうか。 いにしえからの遠きこだまは、誰のなかにもおぼろに響き、その時代時代の歌に、形は変えても継がれ続ける気がしてならない。 それとも、万葉の系譜がついに絶えてしまった時代を、僕らは生きているのだろうか。

裕美ちゃんのスキャットは、いつしか虚空へと消えて行く。 戻らぬ「故非」のエコーは今も、日本の僕らの裡にしっかりと響いているだろうか。

 

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