月別アーカイブ: 7月 2016

限られた人の世を生きる その12

中島みゆきの、からきしファンじゃない僕が知っているのは、むかし巷でヒットした曲に限られる。
それでも最初期の「時代」と「わかれうた」は今も好きで、特に後者は高校時代、修学旅行のバスで移動中に、無理やり1曲強要されたパンクロッカーの上原君がジョニー・ロットン(ライドンじゃないのよ)風に歌い上げて場を凍らせた瞬間を、今も忘れずにいる。
上原君と言えば彼のライブを見に行った際、オリジナルで「クリームソーダは恋の味」という秀逸なタイトルの曲をラストに演ったが、どんな音楽だったか思い出せない。 もちろんYouTubeを開いても、確認など不可能である(無駄と知りながら一応、検索してみた)。

o0300032912093433044それで本題と全く関係ないが、上原君のお兄さんというのがまたパンクな人で、見た目ザ・ダムドのデイヴ・ヴァニアンみたいな強面にも関わらず、僕らが彼の家に泊めてもらった際には「やぁ俊哉の友だちか、よく来たね」と、実にさわやかな好青年風挨拶をされたものだ。

更に輪をかけ全く関係ないが、上原君のお父さんはアマチュア弦楽四重奏団の確か第2ヴァイオリンを担当されていて、彼の家で目覚めた日曜の朝に、居間でハイドンの「ひばり」を鑑賞されていた。 朝のご挨拶をすると、どういう脈絡だったか定かでないが、「音楽はね、モーツァルトですよ。しょせんベートーヴェンは素人ですから」などと、いま思えば息子2人よりも、はるかにパンクな私見を述べられた。 40年近く経った今、お母さん以外パンクだったあの一家はどうなっているだろう。

それで中島みゆきに話を戻すと、地上波テレビの音楽番組やドラマを見なくなって久しく、最近の曲が連ドラの主題歌になっていたとしても分からない。 それゆえ僕の中で最も新しい中島みゆきは、「地上の星」のままである。

ラジオも昔みたいに流行歌の垂れ流しは一切しなくなり、だからと個人的な不都合は感じないものの、これじゃ音楽産業は衰退するわけだと納得もする。
何かひとつの決定的要因から今の凋落となったわけでもないだろうし、絶え間なく進行する情報の多様化からして、致し方ない現象かもしれない。

前にもふれた事があるけれど、JASRAC(一般社団法人日本音楽著作権協会)という日本固有の異常な存在が、音楽業界後退に拍車をかけているのは間違いない。
JASRACは、日本国内の作詞者や作曲者・音楽出版者などの権利者から、著作権の管理委託をする団体だ。 楽曲利用者にとっては簡単に手続きができて、権利者側は煩雑な利用料の徴収を代行してくれるという、いかにも有用な存在に見えながら、実は文化の破壊者と言ってよい。

著作権法では、家庭内や個人で楽曲を聴く場合は問題ないものの、店舗で音楽を流すという営利目的の使用では、個人経営や大手チェーン店など規模にかかわらず、著作権使用料を支払う必要が生じる。 このルールを厳格に適用することで、街から音楽が消えてしまった。 金をとられるとなれば、零細個人商店が気軽に曲を流せなくなっても当然である。 かつてタモリが「ダンシング・オールナイト」を気に入り、しつこく番組でかけた逸話も今では成立しない。 地方の局のFMを流しながら長時間運転しても、「今の」ヒット曲がかかることは滅多になくなってしまった。 権利者側を保護する規制が強化されるにつれて、流行歌の生まれる素地も消えていった。

本来であれば、日常のあちらこちらから流れてくる楽曲に耳が馴染んで初めて、購買意欲を促進されるのが道理というものだろう。 いまカラオケなどで頻繁に歌われ、多額の著作権収入を得続けるかつてのヒット曲も、テレビやラジオ・商店街で繰り返し流され、親しまれてきた結果ではないか。
先日、永六輔さんが亡くなられたが、「上を向いて歩こう」をJASRACという存在を前提に当てはめた場合、世代を超えて愛される楽曲になったか、日本のみならずアメリカのビルボード・ヒットチャートで4週連続1位を獲得出来るまでに成功したか、想像するまでもないだろう。 周知されなければそれがいかに良い音楽だろうと、知らない人にとっては無に等しい。 握手券やアイドルとのお花見特典までつけなければCDが売れないのだとしたら、それはすでに音楽とは違う地平にあると断じざるを得ない。 目的が音楽そのものに向かわない以上、購入して、好きなとき好きなだけ聴ける健全な所有の喜びからは、大きく逸脱してしまっている。 モーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」であろうと倉田まり子の「HOW!ワンダフル」であろうと、若く多感な時期にすりこまれた音楽は、折に触れ(思い出に寄り添いながら)大切な智覚を呼び覚ましてくれるはずなのだ。 少なくとも日本に、JASRACは馴染まない。 ついでに言うと、立憲主義も馴染まないと思うようになってきた。 だって皆さん、憲法全文なんて読んだことないでしょ? でも、何の不便もないでしょ?

で。
中島みゆきはどこに行ったかというと、ここにいるよ。 私は行くよ。
この大御所の、あくまで知っている過去のヒット曲に限った話として、その豊かな才能に感服はしながらも、一方でどの楽曲にも共通する「過剰」さが苦手である。 唱法も、初期は別として「過剰」に感じてしまうし、創り出される音楽世界にも、常に「過剰」さが漂うのだ。

かつて昼下がりのメロドラマのような、無理に事件を作り上げ物語を発展させようとするとき感じる作為とでも言うか、不自然さが引っかかる。
それは一方において、みゆきさん独自の「体臭」とも呼べそうで、慣れるとおいしいクサヤの干物のようなものかもしれない。 少なくともファンにとって「体臭」は個性であり、唯一無二の魅力と映るはずだ。

「悪女」を聴く。

1981年10月21akujo01日リリースとあるから、もう35年も前になる。 僕が19歳で、体重が54㌔の頃だ(いま79㌔)。
曲は知っていたけれど、つい数日前に、全部を初めて聴いた。

美しく、けっこう派手にデコレーションされた編曲に、中島みゆき独特の唄がのる。 以前ならこの出だしだけでもう駄目だったが、今は不思議と抵抗なく詞の世界に入っていける。

同居する男が、違うおネェちゃんとねんごろになり、その心変わりを主人公の女性に切り出せずいる(らしい)。何かのきっかけで、彼女はそれに気づいている。 実は事実かどうかまで、この曲だけでは判らない。 主人公の妄想・思い込みと捉えると、みゆきワールド全開かもしれない。 キミ、それ間違いないの?などと問いただせる雰囲気もなさそうなので、それは本当の事だと彼女の気持ちにまずは寄り添う時、すでに一つの決断が為されている。
自分から男の元を去ることは出来ず、つまり彼女が相手を愛する気持ちに変わりはないので、男の側から愛想を尽かせようとするのだ。 彼女の意図する行為から、男の方にも未練のあることが逆に浮き彫りになる。

女友達を相手に、聞こえよがしに他の男と会話しているような電話をしたり、男性コロンを吹きかけては街の深夜をひとり過ごしたり。 そうやって、私は悪い女なの、アナタが新しい相手を見つけても仕方ないことなのよ、という方向にもって行こうというわけだ。

人生観がまるで斜め踊りの僕にとって、ホントかぁ、そうまで無理を重ね、悪女を演じてまでもアナタの幸せだけを願う私みたいなオンナ他にいないでしょ、みたいなほのめかしに思えなくもないのだが、それでは身も蓋もなくなってしまう。 ここは彼女の真心を、素直に受け止めるとしよう。

つまり彼女は、利他主義(利己主義の反対)なのだ。 相手を愛し心から大切に想っているから、カレのため自己が犠牲になるのも厭わない。 本音は「行かないで」であっても、それがカレの不幸につながるならば悪女に徹し、「あの娘のもとへ あなたを早く 渡してしまう」のだ。

そんな女、昔も今も未来までも、本当にいるのかぁ~? 逆を言えば、男にとって永遠の憧れのような女を捨ててまでゲットしたいおネェちゃんって、どういう存在なんだろう。

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「悪女」が発表されて35年、先日ようやく耳にした僕は、ちょっとホロリときた。 こんな歌、今は作れないだろう。 上っ面の女性差別と取られかねない歌詞だ。
しかし自己を犠牲にしてまで他者を守ろうとする本性のようなものが、人間に備わっているのも事実らしい。 それが時代と共に現れにくくなっているのは、あらゆるものに定義づけがなされ、表面的には異性の上下関係が消えて、たとえば男女のカップルが当たり前のようにデート代を割り勘にするあたり、それを強く感じる。 男が女に見栄を張れないなんて、なんて寂しい平等社会であることか。

「悪女」は見栄を張る女の歌であり、不様で愚かしい過去の遺物かもしれない。 そこに時代のリアリティは希薄かもしれないけれど、今も聴かれカラオケで歌われ続けているのもまた事実だ。 いまだ利他の精神に焦がれる土壌があるのなら、この国の未来も、暗いばっかりじゃないと思うぞ。

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咲く花あれば咲かぬ花も…

今年の夏の暑さは、また格別とのことです。 お互い体調管理には、いつも以上に留意しなければなりませんね。

以前も触れましたが、SBM本社にある胡蝶蘭の3株すべてから、花芽が伸びました。 4月の事です。 以来、きれいな花が咲くのを心待ちにしておりました。

最初の開花は5/7でした。 それから2か月以上過ぎた7/13に最後の花が咲くまで、しぼまずに待ってくれました。 聞くところによると胡蝶蘭の花寿命は、1~2か月とのことです。 今後いつまで持つか、楽しみです。

しかし、芽が出たうちの2株は立派な花を咲かせてくれましたが、1株は花芽が伸びず、消えてしまいました。 葉は元気ですので、来年咲くことを期待します。

同じ鉢の中で育てていて、花咲く者あれば咲かずじまいの者もいます。 何が違うんだろう?

・・・多分、根っこの強さではないかと私は思います。 目に見えない土の中で、限られた栄養を吸収しようと必死に伸び、力強く水分を吸収した株が立派な花を咲かせたのでしょう。

人間社会も、同じように感じます。 人の見ていないところでキチッとした仕事をする人が、「力をつけ」「信頼を得」「成功する」のだと思います。 中には上司のご機嫌取りをし、可愛がられて昇進する人もいるでしょうが、そういう人は遅かれ早かれボロが出ます。 他県民ながら日本の首都たる次の東京都知事には、地味でもシッカリ足跡を残す方になってほしいものです。

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最近見つけた便利グッズ②

yjimage[2]前回に続き便利グッズ第二弾として、水垢・黒ズミ除去と光沢復元のINSPIRE社・クリーンメッシュをご紹介します。

類似品もありますが、個人的にはイチオシ商品となります。

弊社・各現場ですでに使用しております。 複数の従業員さんから、自宅でも使用したいと購入希望を受けました(同様に、前回ご紹介したセラステックにも希望者がいます)。 日々仕事で使用されている皆さんからの高評価ですから、自信をもってお勧め出来ます。

写真のように、トイレの輪ジミ・洗面台止水栓廻りの輪ジミを、傷をつけることなく除去します。

水だけで汚れを落とすことが出来ます。 なおクリーンメッシュには、荒目のイエローと細目のピンクの2タイプがあります。 頑固な汚れならイエローでざっと落とし、仕上げにピンクを使用すると、より効果的です。

汚れを落とした後は、光沢も復元されます。yjimageAFDFNJ5Q
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材質は、ポリエステル製にミクロの粉末ガラスを接着した物です。 通販でも購入可能なようです。 よろしければお試しください。

 

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もうすぐ七夕

7月に入り、暑さも本格的になってきました。 梅雨明けも、すぐそこまで来ていますね。

夏の現場作業は大変ですが、個人的に大好物のビキニシーズン到来です。 最近は趣味のサーフィンが全く出来ず、そもそも海に行く機会すらありません。 今年こそは、戦後すぐにフランス人が開発した肌の露出度がかなり高い水着を、歴史的視点から純粋な気持ちで鑑賞すべく、ぜひ海に行きたいです。 あ、いや、勿論、メインはサーフィンですが。

くだらない前置きはこれぐらいにして、もうすぐ七夕と言う事で、ブログのネタにさせて頂きます。

七夕と言えば、短冊に願いを込めます。 むかし自分が何を書いたかさだかで無いのですが(たぶんビキニに揉まれたいとかビキニ鑑賞したいとかだったと思いますが)、うちの娘は「ようちえんのせんせいになりたい」だそうです。

正直、ビックリしました。 幼稚園児の願い事といえば、戦隊シリーズの何々になりたいとか、キャラクターになりたいとか、そんなイメージなのは私だけなのでしょうか? うちの娘の名前が「結芽」だけに、夢がはっきりとしているのか、、、。 今後が楽しみな娘です。 ちなみに成長しても、ビキニだけは着させません。

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限られた人の世を生きる その11

7月1日、第24回参議院議員通常選挙(6月22日公示、7月10日に投開票)の期日前投票をしてきた。 実を申せば齢(よわい)53にして、初めて国政選挙に一票を投じたのである。

幾つになろうと初めての経験というのは中々になかなかなもので、まして要領の良くない僕は候補者を記入する際に、まず固まってしまった。

投票記載台ClmVv19UkAA64BHには候補者名が掲示されているのだが、なぜか静岡県選挙区5名分の名前しか見当たらない。 はっきり言ってそのどなたにも、人生初の、つまり極(ごく)私的にはとてつもなく果てしない、宇宙より重い一票を入れる気など毛頭なれず、こんな選択するだけのために来たんじゃねぇやと、頭にプシュ~ッ!と血が上ってしまったほどである。

ちなみに今回、国民の義務であり民主主義の根幹たる投票を行使するにあたり、というのは選挙に行ったことの無い僕は暗に「非国民」と自らを認めていて、腐敗した議員が大勢を占める与党の時代が続こうが、看板だけは革新の偽リベラル政党がチャイナの裏工作や反日メディアの広報活動の結果から政権を奪取しようが、何も言う権利はないし、唯一暴力革命でも起こったら、自らの政治信条はおのずと明白になっていくだろうくらい他人ごと・無責任の極みに構えていて、いやもっと正直に言うと今さら投票所にわざわざ出向くことじたい億劫になっていたところ、それを覆すほどの気持ちに転換された今となっては、まずは候補者一人ひとりの属する組織や主張を、しっかり確認しようと思ったのである。 一応、下調べして選挙に臨んだのだ。

まず最初にパス!したのは、30代前半の自称ジャーナリストのにいちゃんで、党派は無所属。 インターネットという、使い様によってはメチャクチャ無責任で危険極まりない側面を有しながら、ナマの情報取集に極めて便利な文明の利器に、氏名を入力すればたちどころ、彼のオフィシャル・ブログがヒットする。

その内容の、半端ないスカスカ感。 「10代から裁判所に通い詰めた正義感を武器に」活動し、「政治観はセンター」と宣言するが、そして「労働者や若者、女性、子供達に寄り添う」とし「必要なら体制と闘う。ルールを疑う」のだそうだが、いやしくも政(まつりごと)に身を置こうとするなら、もっと言葉一つひとつの持つ意味を掘り下げないと、有権者の心まで届かないんじゃないか。

社会的弱者の側に寄り添おうとする心情まで疑いはしないが、そのためにはキミがこれまで具体的にどう行動し、何を変えたか、その成果の大小までは問わないとしても、実績を明示できなければ伝わるものがない。 こんなこと宣言するオレってカッコいい、その印象だけに留まるとしたら、単なるナルシズムでしかないだろう。

キミの政見放送、僕はたまたま目にしたけれど、自分で見返したか? 終始おどおどと下卑た薄笑いを浮かべ、なんら具体的政策を提示することなく終わったキミの決意表明(もどき)からは、人のため生きようとする覚悟の、欠けらも見受けられなかったぞ。

参議院選挙の供託金は300万円。 一定の有効得票総数を満たさなければ没収されるわけで、いい加減な気持ちで立候補したわけではないだろう。 “ジャーナリスト”なら、商売道具たる言葉を徹底的に磨き上げ、相手の心の芯を、的確に撃ち抜けるくらいにならなくちゃ。

NYluchたとえば労働者に寄り添うというのなら、“労働者”とは決して十把一絡げの存在ではなく、山谷や寿町で日雇い労働に明け暮れ、ひとり最期を迎える“労働者”もいれば、特定の代議士と癒着する企業に属し、年収1千万円超を保障された環境で、しかし個人として日々を誠実に生きている“労働者”もいる。 他人を貶める事にだけ心血注ぐエリート・コースの“労働者”がいれば、何の見返りも求めずひっそりと地域に貢献する、市井の名もなき“労働者”もいる。

貧しいからイイ人とは限らず、裕福だから満たされているとも限らない。 世間的にイイ人で通っている人物の心の裡に、思いもよらないダークな一面があったとして、何の不思議もないはずだ。 人はそんなにシンプルな生き物じゃないし、それを労働者の単語一つで括ってしまうとき、相手にお決まりのイメージは浮かばせたとしても、真実はない。 心は激せず、そよとも動かない。

キミが寄り添う“労働者”とは、何者なのか。 そもそも寄り添うとは、どういう具体的な行動を伴うものであるのか。 そしてキミのそのアクションが、誰にどれほどの有益性を与えるモノなのか。 僕より20も若いキミに、お説教とか皮肉とかじゃなしに、素直な思いで問いかけてみたい。

他の候補として政権与党から1名、前政権を担った政党と革新系からそれぞれ1名の名が連なる。 彼らの主張からは、明確な“個”が伝わらない。 さんざん自称ジャーナリストくんをこき下ろしながら一方で救いも感じるのは、彼の言葉は未成熟に過ぎるとしても、まだ個人の思いらしきものがあるからだ。
対するこの3人は、他の候補にいくらでも交換可能な3人である。 こういう人たちに対し、僕は選挙の有効性を信じられずに来た。 それを正当化するつもりはない。 民主主義の長い歴史に培われたシステムは、必要に値する理由があるからこそ存続していると理解する。 しかしそれこそ政党に“寄り添う”既得権益の固まりのような皆さんに、自らの意志としての一票を投ずる気には到底なれずにいたし、それは今後も、きっと変わらないだろう。 自らの信念でなく、政党から与えられた固有の言語でしか語れない連中によって政治が動く以上、どうしても関わり合いたくないと思ってしまうのだ。

テレビ討論の場で、「人を殺すための予算でなく、人を支えて育てる予算を優先させていくべきだ」と言い放った革新系政党の政策委員長がいる。 この政党、昨年は日米安保を「戦争法案」と言い換えたり、これまで党利党略のための典型的な政党用語を連発してきたが、お咎めはなしである。  今だって変わらず、「戦争法案」廃棄を訴えている。  チャイナの軍艦が領海を侵犯する手前まで増長している危険極まりないこの期に及んで、最低限の防衛手段をいまだ「戦争法案」と言い換えて平然としているこういう人たちの感覚は、僕にとって理解の外にある。

だから今回の発言も、決して個人の気持ちを言葉にしたものではなく、この集団の共通認識と捉えるべきだろう。

政権批判だから多少の過激発言もいつものように許されると思っていたら、今回は事が大きくなり、役職辞任に追い込まれた。 直近、熊本で被災された現地の皆さんがこの発言に対し、激怒されたとも聞く。 自らを省みず、ひたすら被災者に“寄り添う”自衛隊員の姿を目の当たりにしてきたのだから、当然の反応だろう。
自衛隊を人殺し呼ばわりしても当然とされた時代から、僕も含め、歴史は変化してきた。 一方で何ら変化することなく、他者にいくらでも交換可能な連中によって政治の世界は続いていく。 以上、いずれかの党派に所属する3名、心情的には誰にも入れたくはない。

最もまっとうと思われる候補者が、1人だけいた。 自虐史観に繋がる現憲法を改正し、消費税は延期ではなく中止とし、その分を経済成長で補てんするとしている。
これで宗教法人を課税対象にするとまで言ってくれたら、リアリティに疑問の余地は残るものの、今回は一票を投じたかもしれない。 「宗教法人税」さえ徴収できれば、いわゆる国の借金の大半は、一瞬で解消されるだろうから。 ところが新興宗教をバックボーンとする政党に所属する彼は、自らの身を切る改革案には、触れず終いなのである。 たぶん宗教団体から税を徴収する発想すら、したことがないんじゃないか。 それこそが既得権益の正体かもしれないのに。

国民の幸福を科学する、しっかりした国家観を持つ教祖様であられるならば、そのぐらい掲げて何の不思議もないはずだ。 逆に教祖様がその気にならなければ、自分の頭で物事を考えない信者の彼に、個人の主張が入る余地なんて皆無なはずだ。 加えて離婚した元妻を悪魔呼ばわりしちゃうご都合主義の権化じゃ、いくら言葉面だけよくても、一般国民の支持は拡がらないと思うぞ。

けっきょく白票を投じようかとも悩んだが、最後は政党重視で氏名を記入し投函した。 その政党自体は嫌いなのだが、今の党首は組織の中でむしろ少数派に近く、応援したいと思ったからだ。 だから正直、書いた名前も覚えていない。

僕が今日投票に来たのは全国比例区が目的で、それは次の投票記載台にあることがわかった。 素人には極めて分かりにくいシステムである。 それとも、私だけ?
全国比例区は、政党名でも個人名でもイイらしい。 これも厳正でなければないはずの選挙に於いて、実にヘンなルールである。
これまで国民の権利と義務を行使してこなかった僕が、何をエラそうに批判するのもお門違いなわけで、こちらは速やかに個人名を記載し、投函した。
この人が立たなければ、僕は一生選挙に行くことがなかったはずだ。 こんな怠惰な僕であっても、彼が「自分を壊してまでも」立候補した以上、今回ばかりは行動せざるを得なくなった。

投票用紙には持参したボールペンで、心からの願いを込めて、「青山繁晴」と大きく書いた。

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会社の看板・特掃班の研修

DSCN0007今日から7月です。 天候が回復し、気温が上昇してきました。

さる6月27日、本社3階会議室において、特掃班と設備管理工事課に配属されたばかりの渡辺君の計6名で、約3時間、研修を実施しました。

従来は社内スタッフ(上司)により開催していますが、今回は外部から講師をお招きしました。

真鶴在住で、J社技術者やISOの審査員など歴任され、現在は神奈川県ビルメンテナンス協会のお仕事をされております平田和義様です。

今回の講義のテーマは、マナーについて。 お客様・上司との敬語を用いた会話、作業の身だしなみ・挨拶など、基礎的でありながら中々身につかないポイントを復習していきます。 お辞儀の際に頭を下げる角度や姿勢など、実践しながら学びました。

その他、個人情報保護法や建築物衛生制度に関するお話もして頂きました。

今後は3ヶ月に1回程度、テDSCN0012ーマを設定して実施して参ります。 次の研修までにマスターすべき課題を一人ひとりが掲げ、終了となりました。

特掃班のPDCAサイクルは、スタートしたばかりです。

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