止まらぬ出費

5月となればさぞ暖かくなろうと思っていたら、朝晩はことに肌寒く、最近よく降る雨が身にしみます。

身にしみると言えば先月から出費が止まらず、危機的な状況にあります。 先月は息子の誕生日に始まり、姪の結婚式に家族で出席し、大きな出費。 今月は娘の誕生日と、息子と娘の七五三の前撮り写真で追い打ちがかかります。 そこにもうすぐ、自動車税納付の催促が。 6月には我が社専務の結婚式に参加。 もちろん、喜んで伺いますよ~ 8月には結婚した姪の出産祝い(あれ? 結婚から生まれるまでの日数が、だいぶ合わないような・・・)。

おめでたいことばかりで結構なのですが、ここまで続くと正直、家計は圧迫されるばかり。 お小遣いも削られること間違いなし。 毎月立て続けの出費となるのは、人生初めてです 。続くときは続くんですね(泣) この状況に耐えれるのだろうか。。。。 やっぱり世の中、金次第なんでしょうかね? そうは思いたくないですが、実感せざるを得ない状況です。 4月からのトータルを計算すると、ン10万円になります。

ここまで書いたんだから、可愛い部下のため会社から多少の心遣いくらい、あるかなあるかな?

ないかな。

束札

 

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パッとしたチョホーマンス

会社のブログだから、日々の仕事や社員の話でもつづっていくのが本来のスジだ。 ところが、生々しい事態や人物像をそのまま描写すれば明らかに差し障りが生じ、だからと事実をボカせばつまんないだけで、結局は関係ない時事ネタとかに終始してしまう。 20数年もこの稼業やっていると、実は面白い出会いが少なからずあるのだが、私的な場のネタとしてしか披露出来ない。 無念。

anger2今回も具体的なシチュエーションには触れないが、最近、取引先のある御仁から「オレはこの仕事に命賭けてんだぁ!」とキレられた。 いわゆる癇癪持ちのお方なのだろう。 怒りの気持ちを抑えられず、次々こみ上げる憤りに言動をコントロールできない状態になってしまうようだ。 この人と商談の都合から、直接会ったり間をおいて数度の電話を試みるも、数分もしないうちすぐにカッカし出して、僕や会社を口汚く罵り始める。 しかし語彙が限られているため、小学校低学年男子の「ウンコチンコ●ンコ」みたいな滑稽さばかりが際立ち、申し訳ないが真剣に取り合えなくなってしまう。

この齢になると、5af344917ba7e200b04050ad3238fc1b_600この手の人に何を言われてもあまり動揺はないが、まともに受け止めてしまう若い部下などは、お相手するうち病んでいきそうな気がする。 困ったもんなのだがそのままにも出来ず、結局は先方の上司に理由を説明し、直接やり取りさせてもらうことにした。 そのまま話していても、発展性ある話など望めそうにないからだ。 事を進めようという意志は感じられず、「ボクの事わかって~!大事にして~!」との主張が、屈折した形で表面化しているだけだと解釈している。

政治家の「命を懸けます!」などと紋切り型の演説を聞いた大概の人は、そこにチープで、実現の可能性ゼロの虚ろな響きだけを捉えるだろう。 懸ける対象や時期を明確にしないままいくら絶叫を繰り返しても、説得力など生まれるはずがない。 本当に命を懸けるなら、公約が守れなければいついつの段階で腹を切りますくらい、せめて次回の選挙に立候補しませんくらい、明言すべきだ。 こうした態度では、癇癪持ちの誰かさん同様、組織や有権者のためなどの姿勢は微塵も感じられず、おん身第一の姿勢から少しも抜けられていない気がする。 そうであれば心に響く公約など、望むべくもない。

直近でも、たとえば南北朝鮮の首脳会談で両者が初めて握手する瞬間をとらえ、「記事も書けないほど感動した」とこの茶番を称賛するメディアがあったり、「祖国統一に向けて大きな前進だ」「非核化に向けて両首脳が努力してくれた」などと、感動や期待の声が少なからず上がったりする。
当事国に限って言うなら、引き裂かれた同族に対して積年の思いも強かろうと、一定の理解は出来る。 ところが我が国では、何の罪もない同胞が数知れず拉致され、その事実が長年にわたって隠蔽されてきた。 自国民が飢え苦しむ惨状を省みず、自分や一族の利益にのみ執着し、叔父や義兄まで惨殺する恐怖政治を、日本のメディアや政治家はさんざん批難してきたはずだ。 それが今回の“やらせ”映像にコロッと騙され(もしくはだまされたふりをして)、南北統一の第一歩に深く思いをいたすべきと、主張する国会議員まで現れる始末だ。 この程度の演出で本当に魂が揺さぶられるのだとしたら、おめでたいとの思いを通り越して、少し羨ましくもある。 騙されたまま気付かず終わる人生ならば、捉えようによっては幸せといってもいいだろうから。 ただしここまでお花畑な思考回路は、政治的意図を抜きにしてあり得ない言動だと、同時に思いもする。

英ブックメーカー(賭け屋)のオッズによれば、今年のノーベル平和賞受賞者に文在寅大統領と金正恩朝鮮労働党委員長の両首脳が、1番人気となったそうだ。 どうやら人の世は古今東西の違いなく、誰もが表面に浮かぶ上澄みをすくうことだけに終始している。 その根幹とは、しょせんテレビに映ることごとは他人事であり、リアルに近いようで縁遠く、その印象から生じる無関心にある。

だからと、僕が本質的に物事をとらえ生きているなどとおこがましいことを言うつもりは、毛頭ない。 たとえば大型連休中、TOKIOという40代(!)アイドルグループの一員が、女子高生を自宅に呼んでむりやり“キス”したことで、他の4人が謝罪会見する様を、各民放局が延々垂れ流した。 TOKIOにまるで興味のない僕も、1時間半に及ぶこの中継を観た。

普通の感覚で会見を眺めれば、失礼ながら“キス”を強要しただけでなぜこうまで大騒ぎになるのかが、まず理解できない。 被害者の気持ちを考慮し、いや実際には事務所や芸能界という、メディアも共存共栄する村社会が、起きた結果を“キス”の段階に止めておこうとする以心伝心のようなものを、そこに感じてならないのだ。 むろん推量の域は一切出ないものの、彼らの謝罪の意味を、メンバーによる未成年者“強姦”と置き換えたとき初めて、非常に納得できる対応に映るはずだ。

185673cbf0be1dfe24e0c10c4562860b_originalそもそも今回の会見に、シナリオライターが存在するという説がある(水島聡氏【Front Japan 桜】5月3日ネット公開。TOKIO事件の報道されない真実)。 こうしたライターは別にウソの台詞を読ませるのではなく、会見する彼らの気持ちに寄り添って、効果的な言動になるよう磨きをかけるのだという。 どうした言い回しが好感度を上げるか、どのタイミングでどのくらいお辞儀をすれば良いか、事務所社長がメンバーを我が子と呼び彼らがその言葉に涙するマッチポンプなど、リハーサルを重ねた成果が、あの会見になるというのだ。 ボク的には、たいへん説得力ある見解である。

プロなのだから、練習を重ねた会見であっても非難される道理はない。 問題があるとすれば、観る側の我々があたかも打ち合わせなしに、フィルターもかからず彼らの心情が吐露されたと錯覚してしまうことで、それが南北朝鮮の首脳会談におけるファースト・コンタクトと、質的に何も変わらないことに気づかされる。 どこまでも空々しく、やがてうすら寒い。

いい大人が安直に「命を懸ける」ことなどあり得ないとして、日々「命を削る」思いで過ごしている人達は、確実に存在する。 政治家であれば、今の首相や官房長官など、まさしくこれに当てはまるだろう。
これだけひたむきに国益のため尽力され、大きな外交成果を上げている国の代表はかつてなく、同時に、これほど実態とかけ離れた理不尽な攻撃を受け続ける存在も、また稀有だろう。 ことに異常なマスメディアの連日のフェイクニュースによって、真っ当な人達がかえって際立つという、皮肉な功罪も生まれている。 野党による救いようのないパフォーマンスと、シナリオに則ったタレントの記者会見もまた、不毛の地に虚構の根を張る試みにおいて、同質と言えるかもしれない。

例によって、本題に入る前にそこそこの量になってしまった。 キーワードは「命を懸ける」であって、次回その主題に入ろうと思う。 でもちょっと時間が経つと、じゃないかもしれない。

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前を向き、ひとりで歩き始めたあなた

新年度がスタートしました。

二人の娘たちも新学期を迎え、私は毎日、提出書類の山に追われております。

この時期、憂鬱な事がもう1つ。 極度に人見知りする我が家の次女。 幼稚園の頃から恒例行事ですが、クラス替えのたび「学校に行きたくな~い!」と大泣きする毎日。 これが何と、1ヶ月ほど続きます・・・・

なだめてもダメ、放っておいたらもっとダメ。 とっても面倒くさいのです。 当然、今年も苦悩のひと月を過ごす覚悟を決めていたところ、新学期が始まって10日程。 なんとなんと、毎日笑顔で、楽しそうに通っているではありませんか!! すごーい!gahag-0035386842-1

やっと一つ、大きな山を乗り越え、成長してくれた娘。 ありがとう、感謝しています。

でもこうやって、少しずつ私から離れていくんだなー。

末っ子次女の成長に、うれしくも一抹の寂しさを感じた今年の新学期でした。

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強い味方

満開だった桜も散り際を迎え、夏の訪れさえ微かに予感させるこの頃です。 季節変わりの寒暖差が激しく、着ていくものに悩む毎日です。

今年も2月頃から、花粉症の兆候に気づき始めました。 市販の薬を飲み、効かなくなれば病院に行き、処方薬をもらうのが恒例行事。 この処方薬というのも効いたためしがなく、今年も辛い日々を過ごすものと、憂鬱な覚悟でおりました。

ところが、今は違います。 元々住まいが清水区だったので、そのまま病院も清水区の病院に通っていました。 駿河区に住んで早や7年になりますが、どこの病院がいいのかさっぱり分からないので、住み慣れた場所の病院に通っていたのです。 それが今年から、自分で調べて通い始めた駿河区の病院で、何ということでしょう、薬の処方が抜群に良いのかアレルギー反応がないまま日々を過ごせています。  私に強い味方が登場しました。

敢えて名前は公表しませんが(お問い合わせがあればご紹介します)、眠くもならず、鼻づまりもかなり改善されています。 来年もきっと、わがドクターの処方薬が活躍してくれるでしょう。

花粉

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ひぇー高い!

4月のポカポカ陽気に気分も晴れやかと言いたいところ、未だ花粉症に悩んでおります。

街では馴染みきれないスーツを身にまとった若人の、初々しい光景を目にします(37年前の私であります)。

さて、今回ご紹介します作業は、箱根宮ノ下「真奈邸箱根」の高所ガラス清掃です。

地上20m以上もあり、当社の協力会社数社が現調しましたが、皆さんからお断りされ困っていました。

3ヶ月が経過する中、真奈邸となる以前の某保養所時代、ガラスクリーニングをしていた業者を探し出し、今回の作業にこぎつけました。 高所1平塚H社です。

体を半分乗り出して写真撮影すれば、作業者よりこちらの方が緊張感で一杯になります。

さすが実績ある会社は違います。 安全に万全を期しながら、効率よく作業を終了しました。

お客様からもお褒めのコメントを頂いております。

今後は年2回、ガラスクリーニングを頂く事になりました。 ちなみに高所の大好きな役員を見学に誘ったのですが、いつも「俺、ヒマ」が口癖の人が、何故か今回に限り多忙を理由に現れませんでした。 次回はぜひとも、万難を排してお越しください。

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神々の黄昏

201709161437354月から伊勢新明社の総代を務める。 任期は3年。 これから毎月第一日曜日、および大晦日と元旦の朝は、祭事により確実にこちらの神社で過ごすこととなる。

問題は“伊勢新明社”がなんであるか、“総代”が何をするものなのか、全く知らないまま引き受けてしまった事である。
今の総代(70歳前後の方)からして、「僕も何にも分かんないままやって来ちゃったからね」、こうしろああしろなどと明言することは、とてもできないとおっしゃる。
ならば現総代に比してひよっこの僕ごときが、「伊勢新明社ってのはね」などと、グラス片手にうんちくを語れるほどあまい世界ではないはずだ。
きっと総代を勤め上げた3年後であれば、世界の謎も人が存在する理由もことごとく明らかとなり、悟りの境地が開かれている事だろう。 ケネディ暗殺の真実も、藤波が猪木の前で髪を切った時の心情も、我が家にyuriちゃん・sumireちゃんみたいな双子の孫がいない理由も、全て解き明かされているに違いない。
そう思って改めてみるに、現総代の、田舎の好々爺としか映らないその瞳の奥に、実は「全部知ってるよ」と無言に語りかけてくる涅槃の域が、垣間見えるようだ。 なんと畏れ多い事だろう。

そうはいっても、4月からは現実的にいろいろとイベントもあるらしいし、知らんじゃ済まんわな。 どないしましょ?
「これ、読んどいて」と渡された資料によれば、社本殿の建立は天保11年(1840年)。 御祭神は天照大神【あまてらすおおみかみ】とある。 おぉ、オレでも名前くらいは知ってる、メジャーな神さまじゃないの。
弟の須佐之男命【すさのおのみこと】の乱暴狼藉を悲しみ、天岩戸(あまのいわと)にお隠れになると、世の中は光brock-undertaker-727x485を失い闇の世界となり、作物も育たず、秩序も失われたとされる女神である。 太陽、光、慈愛、真実、秩序を象徴する最も尊い神さまだそうだ。
つまりWWEに例えるならば(例えられるものなのかよくわからないが)、現ユニバーサル王者のブロック・レスナーか、“デッドマン”ジ・アンダーテイカーくらい凄いのではないか。 古今亭志ん朝の「幾代餅」、五代目古今亭志ん生の「心中時雨傘」レヴェルの影響力を持つ存在と言えるのではないか。 それとももっと、人智で計り知れないほどの巨大な顕現であろうか。 ま、そうだわな。

もとい。

清水の(人によってはド田舎と呼ぶ)山の手に居を構えて20数年経つ。 当時の土地開発公社の説明会で、ここを購入する世帯は地域独自の文化を尊重するよう何度も釘を刺されていたから、当番が回って来るたび伊勢新明社のお札に1,000円を払ってきたし、境内のお掃除を年1回の頻度で続けて来た。
この当番の任期が3年で、いよいよ新年度から僕に番が回ってくる。
ついては去る2月25日、新しい当番の顔合わせがあるので自治会館に参加せよと呼ばれる。 定時には大体のメンバーが揃ったが、○組の〇〇さんと△組の△△さんがいないなどと、総代がしきりに携帯をかけている。 たかが顔合わせで14名全員参加を目論むなど大袈裟に過ぎる気もしたが、結局皆さん集まってから、20分遅れの開会となった。

開口一番、「本日中に三役を決めてもらいます」と宣言がある。 汚ったねェ~、だまし討ちみたいなことするじゃん。
でも最初から三役決めますなんて招集したらきっと誰も出てこなかったろうし、仕方ないと言えば仕方ない。 3年後の今頃は、きっと自分たちも同じ手を使って何も知らない14名を呼び出すことだろう。
ちなみに三役とは、総代・副総代・会計をさす。 会計は分かるが、他の二役がピンとこない。

それからしばし、沈黙の時間が続く。 下を向く人達が大半を占める中、オレ歳だから関係ねぇやくらいの爺様が、「アイツは地区の役員いつも逃げてやがんだ」などと、僕に小声でチクってくる。 はぁはぁと笑顔で相づち打ちつつも、こういう輩に限って実は何にもやってないんだよななどと、腹の中で苦虫をかみつぶす。 実際、決まらない時間が長く続いた後、「アンタ今まで何にもやってないんだからやれよ」と名指しされ、「お、オラもうすぐ80だし、あちこち病気だし(ウソこけ)、女房が反対するし・・・」などと言ったきり、下を向いて沈黙してしまう。 他にもエゴイズム剥き出しの人間模様が展開されていくが、その中にあって僕も例外ではない。 何が何でも逃げ切らねば。 その気概でいっぱいであった。

地元の伊勢新明社は、いわば末端の支部みたいなもので、本社に当たるのが三重県の伊勢神宮である。 毎年バスツアーがあって、“本社”詣でする総代も少なからずいるんだとか。 経費でるんですか? 自腹です。 それじゃますます成り手いないわな、3年の内1回は夫婦でご招待なんて特典付けたら、手を挙げる人もいるんじゃない? アンタ、総代になって企画してよ。 やっべ~、やはり沈黙が金なり。

こうなると我慢比べだ。 音を上げた者が負けである。
しばらくすると、ボクみたいなもんでよかったら会計だったらやりますけどと、50代らしき男性が手を挙げる。 ひとり決まり。 最悪の総代就任だけは、避ける作戦に出たか。 でも、会計ってある意味いちばんかったるいしなぁ。
「ワシ、4月から自治会長やらなイカンのよ」さすがにこういう人は除外。 「ワシも今年、報徳会と老人会の二役があるもんでなぁ。 それさえなかったら請けてもエエんじゃが」 人のよさそうな御仁が漏らす一言に、○○さん、そこを何とか頼むわ。 すかさずつけこまれる。 さんざん逡巡をなさった挙句、「さすがに総代は無理じゃが・・・ 副だったら、そいじゃワシ、やるわ」 見ごと陥落。

いよいよ残すは総代のみ。 このとき開会から、すでに2時間が経過している。
「ワシは住まいはこっちじゃが、商売やっとって実際にお付き合いしてるのは街の商店会の方じゃ。 こっちには寝に帰ってくるくらいのもんで、あんまし愛着もわかんのじゃ」「こういう役割は仕事をリタイアした人が、地元への恩返しでやるべきでしょう。 現役の我々が仕事休んで会合に出るなんて、現実的じゃないですよ(そうだそうだ、年寄りがやれ~ぃ)」

で、気づくとなぁんとなく、僕が仕切る形になっていて・・・ 「じゃあ、自ら役a51ed51aa39507ad2dbc9d5225afdeea_400x400を請けられたお二人に、総代選出を一任するという事でどうでしょう?」と提案。 一部、それでも渋る人がいたものの、言ったときにはこりゃ指名されるのはオレだなと、覚悟を決めた。 負けた。 つうか、無神論で、墓に恰好だけ手を合わせても祈念したことなど一度もないオレみたいなのが、一度の人生こういう役回りも時に面白いかと、気分を変えた。

案の定、別室で数分話し合いがもたれ、戻ってきた二役が指名したのは僕だった。 この流れだったら、そうなるわな。 わかりました、謹んでお受けいたします。

というわけで、4月から僕は、神に仕える身となる。 相手は八百万の神の最高峰、天照大神である。 会社の名刺にも、天照大神付きの肩書など、入れた方がいいだろうか。 そして羽ばたく。

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花粉症の季節

とうとう花粉症の私に、恐ろしい季節がやってきました。 春の訪れが“恐ろしい”なんて、哀しい限りですが。

すでに我が家では、インフルエンザが爪痕深く過ぎ去っていたので、早い時期からマスクを四六時中着用していました。 そのおかげか、鼻は昨年ほどではありません。 反面、目のかゆみとだるさが例年になくひどいです。 私は眼鏡をしないので、花粉が奥深くまで直撃してくるのでしょうか?

スギの後はヒノキ、その後にやってくる黄砂にも弱いので、何か良い対策があれば教えていただきたいです。 やっぱりこの時期は、家にこもって過ごしましょうか。068abc962715379b76c8f8178cba19fa

 

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狭所での作業!

今回ご紹介する現場は、箱根・某宿泊施設の狭所での作業です。3

昨年暮れ、建物の床下に小動物(子猫?)が侵入しました。

捕獲に大騒ぎになった末、なんとか撤去しました。 今後も同じ事が起きないようにと、床下の開口部を塞ぐ工事依頼がありました。

(分かりにくいかもしれませんが)写真の通り、狭い所では30cmぐらいにの間に入2り込んでの作業です。 職人さんも出来る限り体を丸めて、無理やりの態勢で工事は無事完了しました。 もう外部からの侵入者に悩まされることはないでしょう。

平塚の職人さん、ご苦労様でした。

 

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2018年Jリーグ開幕

寒さも多少和らぎ、暖かくなってきました。 ホッとする間もなく、今は花粉症に襲われています。 薬を飲んでも全く効かず、苦痛な毎日です。 鼻詰まりがとくに酷く、夜は寝苦しく味覚も麻痺した状態が続いています。

さて、話は変わり、2018年Jリーグが開幕しました。 我が地元・清水エスパルスの2018年は、監督にヤンヨンソンが就任し、元韓国代表DFファンソッコ、FWでは元ベガルタ仙台のクリスラン等、頼もしい補強がありました。 開幕の相手は、常勝軍団・鹿島アントラーズ。 正直、負けるだろうなんて諦めの気持ちでいたところ、粘りに粘ってスコアレスドロー。 今後が楽しみな試合内容でした。

第2節はヴィッセル神戸戦。 前半2-1でリードが2-2となり、いつもなら逆転のパターンとなるはずが、なんと、4-2で勝利しました。 昨年のエスパルスであれば。。。ありえない展開です。

ルヴァンカップ初戦は静岡ダービー。 1-0でジュビロ磐田に勝利しました。 いいスタートダッシュです。 昨年の様な降格争いで“桜吹雪にハラハラ”させずに、優勝争いに絡んで“ワクワクさせてよ”です。

sapo-ta-

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私だけの十字架 その2

2月28日、FMで放送された「メナヘム・プレスラー ピアノ・リサイタル」を聴く。

94歳の誕生日を目前に控えたユダヤの老人が日本にやってくるというそれだけで、すでに驚異的な出来事と言えるだろう。
「ひび割れた骨董品」と評された不世出の大ピアニスト、ウラディミール・ホロヴィッツが初来日(1983年)したのは、それでも80歳の時だった。
ちなみにプレスラーのベルリン・フィルのソロイストデビューは、御大90歳の時という。 大器晩成にも程がある。

この夜、プレスラーが奏でたピアノ小品の数々はまさしく老いの響きというほかなく、だが表現することに強い意志を持ち続けた者が老いるとはこういう事か、老いとはネガティブな時間の流れでは決してなく、ある到達に至る過程に過ぎないことを体現したような、それは音楽だった。

ぼくはこの日のリサイタルに行けなかったことを一生後悔するだろうし、同時に、録音を通した限界ある条件の中にあっても、至高の響きに触れられたことをこの上なく幸運に思う。

1曲目。 ヘンデルの「シャコンヌ」が始まった瞬間、10年物の昆布のみで摂った、海の香りも旨みも抜けきった夾雑物のまるで無い、澄んだ出汁のような響きに満たされる。 それは脱力し、浮遊し、愉楽への本能を刺激せずにはおかない。 生きてきたからこそここで巡り会えた、奏者と聴衆の、幸せな邂逅。

2曲目はモーツァルトの「幻想曲 ハ短調 K.475」。 昔からグレン・グールドの乾いた響きが好きで、モーツァルト晩年様式の前触れのようなピアノを、何度も聴いてきた。 一人の音楽家に惚れ込むと、良くも悪くも他の演奏はその規範から外れるため、誰を聴いても受けつけずに来たのだが、プレスラー翁の手にかかると、何の抵抗もなく心の中深く音がしみてくる。 途切れなく演奏される「ピアノ・ソナタ ハ短調 K.457」でも、その感覚はまったく変わらない。 モーツァルトの音楽は古典派の様式にあって、端正な響きのようでありながら実はベートーヴェン以上に荒れ狂う葛藤をはらんでいる。 プレスラーは、いともたやすく相矛盾する二つの世界を止揚してしまう。 引き裂かれた世界で何かが終わり、虚無とも呼べない静かな調和の中に収束していく。

ドビュッシー「前奏曲集 第1巻」から5曲、そして「夢」。 自家薬籠中の作曲家なのだろう。 音楽はますます淀みなく、意識の裡に沈潜していく。 もしも2017年10月16日、サントリーホールで「亜麻色の髪の乙女」を聴けていたなら、神と突然に対峙し祈る思いも消失してしまったかのような、忘我の境地を味わえたかもしれない。 だが極めつけのドビュッシーは、後述するアンコールに奏された1曲であり、そのたった1曲のため、ここに書き留めておきたくなった。

ショパンからはマズルカ2曲と「バラード第3番」。 素晴らしい演奏ながら、それまでの作曲家と異なる印象を覚えるのは、ショパンにはどうしても一定の暗さと技巧が不可欠と感じるからだ。 満たされぬ渇きから生まれる焦燥感のようなものが後退し、演奏に今一つ必然を感じない。 単純に好みの問題で、プレスラーその人を聴くことに何の支障もないが。

最後はドビュッシー「月の光」。 これは、なんという音楽だろう。 月は照らさず、僕たちの“今”“過去”“未来”に等しく、光のままに滴り落ちてくる。
アルベール・カミュは「不条理」の感情を、人間のなかにあるものでも世界にあるものでもなく、「両者の共存のなかにあるもの」「両者を結ぶ唯一のきずな」と定義した。 そして「反抗(不条理を明晰な意識のもとで見つめ続ける態度)」こそが生を価値あるものにすると称揚している。
プレスラーはこれを実践し続け、晩年に於いて、ついにその望ましい極点に達したのだと思う。 ここに歴史性は否定され、過去も未来も等価となり、故に革命もまた否定される。 “いまここにある”、その危うくも愛おしく、肯定するしかしかない“生”の賛歌こそが、この音楽の正体である。

夢であり、うつつでもある「月の光」のしずく。 僕たちは生きるに値するから生きているのではなく、存在しなかった過去も存在していない未来も、生きている“今”に等しい価値となり、静かな月の光に満たされている。 つまり、存在も非在も等価であるなら、もはや死ぬ根拠がなくなるのだ。
カミュは、革命や党派性の限界を示すことで同時代においては異端の存在に終わった。 「月の光」は音楽自体に於いて、その復興を宣言しているかのようだ。

あれ、オレまた何書いてんだろう。 なんで唐突に、カミュなんか俎上に上げるんだろう。
前回の続きで、現代のエア・チェックの具体的なやり方を開示しようとしていたのに。
それで、なんですな。 AIMPという、これはメイドイン・ロシアの音楽再生ソフトを使った「メナヘム・プレスラー ピアノ・リサイタル」の画面を写真で掲載しておきますね。 これ、すんごいマニアックな編集が必要なんですが、今から触れだすと午前様になってしまうので、またの機会といたしまDSCN0284す。

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